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文体の問題、あるいはホームズとモダンガール-文藝春秋

Holmes and the Dasher

酔いどれ評論『Jugged Journalism』 の一作品
P.G.ウッドハウスの文体で、シャーロックホームズのパロディ

発  表-1925年 81年前
A.B.コックス-32歳

Holmes.jpg

ほんの5頁ほどのパロディ作品。
コナン・ドイルが忙しくて、ウッドハウスがホームズを代筆することになったら・・・という設定でのお遊び。

登場人物は、ホームズ、ワトソンと 依頼人のシシー・クロスガーターズ。(←この人が、モダンガールなんでしょう)
いつも通り、ベーカー街に依頼人が相談に来て、そして 一晩で(←ココがポイントです)事件解決!!
「あのね、ミスター・ホームズ-なんだかすごく面倒なことになっちゃったんで、三時ころ相談に行ってもいいかしら。」
という依頼人の手紙から分かるとおり、文体もキャラも結末も砕けまくり
爆笑ということはないが、軽く笑える クスッと笑えるパロディだった。

 ---

ウッドハウスの「エムズワース卿の受難録」の巻末付録として収録されているものを読んだ。
バークリーの作品を読むためにこの本を購入したのだが、”ウッドハウスの文体をまねて~”とのことなので、先にエムズワース卿を読んでみた。
とてもおもしろくて、シリーズのほかの作品も読みたくなった。

で、いよいよバークリーかと読み進めていくと
バークリーの付録本文の前に
巻末付録「探偵小説とウッドハウス」という解説文と
ホームズとモダンガールについての「編訳者注」
があって、どちらにも芳しくない評価文が書かれている

ものすごテンション下げられた。

専門家がご覧になれば、色々言いたい事はおありなんでしょうけど、まずは予断なく読ませて欲しかった。
そうしたら、もっともっと楽しめただろうに。
「面白くないんだって・・・」と思いながら読まれるパロディ物ほど可哀想なものないと思うんだけど。
どうしてこの2つの解説文を、モダンガールの後ろに置いてくれなかったのか!!
読後に、「バークリーにしては???」と思った人が読んで納得する分にはいいんじゃないでしょうか。
編者の方には、もっと繊細な心遣いをお願いしたい。

※別訳:ハヤカワ・ミステリ「シャーロック・ホームズの災難[上]」に収録の『ホームズと翔んでる女』も読んでみた。→感想

 ☆☆☆

文藝春秋 P.G.ウッドハウス選集Ⅱ「エムズワース卿の受難録」の巻末付録
2005年12月15日 第1刷
編訳者:岩永正勝・小山太一

<06/06/16追記>

この記事が、"事件"とかにされているようですが。
それ関係で、単独でこの記事にこられた方へ。(そうでない方は読み飛ばしてください)

このブログは、『バークリー作品を発表年順に読んでみよう』という目的で始めました。
江戸川乱歩や横溝正史作品をぐしゃぐしゃに読んだので、毒入りチョコレート等で気に入っていたバークリー作品を発表年順(本当は執筆順としたかったのですが、調べるスキルも無いので)に読むのも一興かと思いまして。
他の作家でもいいですが、まずバークリーにしてみました。
(2年前に始めたのに、バークリー作品の記事が何とか主流になってきたのがつい最近という ていたらく。また、入手困難な本があったり、自分が読む順番を間違えたりで、ちゃんと発表年順になっていない始末でお恥ずかしい限りです。)

ブログの目的がそういうことなので、
『もはや「バークリーが書いたものなら何でも読む」レベル』ってどういうレベルか分かりませんが、順番に読んでいきますから『何でも読む』ってことになるのでしょうか。
ブログの目的がそういうことなので、
『わずか数ページの小品のために、さほど興味のない作家の本を購入する』ことにもなります。ネットで購入したので、手元に来るまで「わずか数ページ」なのか十数ページなのか分かりませんが。
発表年順なのでまだ読んでいませんが、バークリー短編が収録されているので購入した 昔のミステリ・マガジンも同様の言い方に当てはまるのでしょうね。わずか数ページなのかもしれませんが、古本屋さんで捜しております。
そうやって捜す事ーもまた楽しいし、このブログの楽しみの一つと思っています。

特に「ホームズとモダンガール」は、恵まれたことに(入手容易な範囲で)選択肢が2つあったので、訳の違う2つを是非読み比べてみたいと思いました。長編だと読み比べる根性が無いので、小品だったということもその気持ちを強くさせました。(小品過ぎましたが・・・)
その為、この作品を読むだけならハヤカワ・ミステリ「シャーロック・ホームズの災難[上]」の方が安いしミステリ好きには適しているのでしょうが、『さほど興味のない作家』というより「全然知らない作家」の本も購入したしだいです。
普段の自分ならしない「訳の違う読み比べ」とか、作品にでてくるビールを買ってみるとか、そういうお遊び今までの自分の読書生活にない、コレを始めたことの楽しみの一つと思っています。

また、「ウッドハウスの文体のパロディ」なのに私はウッドハウスを読んだことが無いので、もしハヤカワの方しかなかったら、別にウッドハウスの本を買って読んでいたと思います。そうしないと何がパロディか分からないので。
「ホームズとモダンカール」の前にウッドハウス作品を読むことは私には必要であり、『リスク』なんて全然ありません。1冊で両方読めて感謝しています。

ウッドハウスの本なのに『ウッドハウスへの言及はほとんどない。』のは、この記事の題名通り「ホームズとモダンガール」の感想記事だからです。ここは"推理もの"関係でまとめてますので。

ウッドハウスの本はこれが初めてです。
コメント文中で名前を間違えたのは大変失礼なことをしてしまいました。反省しています。「エムズワース卿」の方が印象が強かったので、混ざってしまいました。
修正するとまた何か言われそうなので、間違えたままにしておきます。
バークリーをキーワードに書籍を買ったわけですが、そこでエムズワース卿やHM卿などの新しい出会いがあり、興味範囲が広がることも楽しみの一つです。
「エムズワース卿の受難録」はとても面白かったので、バークリー同様、日本語で入手できるウッドハウス作品一覧表なぞ作っていた時に『事件』とやらの記事を見かけたので、悲しくなってしまいました。私が名前を間違えたので仕方ありませんが。
バークリーが終わるまでに、「次にシリーズで読みたい人」が見つかればと思っています。

『わずか数ページの小品のために、さほど興味のない作家の本を購入するほどの人』ってほどの人ではありませんが、
気に入った商店街のお店に、片っ端から入ってみよう!と思ってる程度の酔狂な人間です。私にとってはそういう意識です。(そういうブログ有りそう)
もちろん、全部の店で100%満足を得られるとは思ってませんが、店に入ろうとした瞬間に 出て来た人にすれ違いざま
「この店、すっごいマズいよ!」
と言われたら 入る気が失せるーというだけです。

<06/06/17追記>
『[小説]配達あかずきん/大崎梢 from 不壊の槍は折られましたが、何か?』からこられた方へ。

私は、『とにかく謝れ』と言っているのではなく
「こちらの言っていることを理解してくれ、そのことについて話そう」と言っているのです。
たまに芸術家気取りの蕎麦屋がいますが、一時が万事で 相手を客を思っていなければ「すいません」と言う言葉が出てこない-という例えで 以下のコメント中に「まず すいませんという」のくだりが出てきます。

今回の件は、担当編集者の方の最初のコメントで
「でも、うーん」に始まる比較にならない比較で-蕎麦屋の例えで言えば、言い訳されたと私が感じて怒ったことから始まっています。
そのまま、怒りが収まるきっかけもなく終わっているのでお恥ずかしい限りですが。

今回のコメント~他のブログで書かれた記事を拝見して、私のブログ記事内容に対し、ちゃんと受け止め そのことについてまさしく意見を述べて下さったのは、
上の<06/06/16追記>の 「事件」として記事を書かれた方だけです。
最初からこの方のような対応であったなら、私も恥をさらさずに済んだのですが、大変残念です。

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» [小説]配達あかずきん/大崎梢 from 不壊の槍は折られましたが、何か?
配達あかずきん 作者: 大崎梢 出版社/メーカー: 東京創元社 発売日: 2006/05/20 メディア: 単行本(ソフトカバー)  とある書店の若手の... [詳しくはこちら]

コメント

私も、同感です。
真似をしているようで、全然していないというのが、
このパロディの面白さなのではと思ってます。

くろにゃんこさま
お久しぶりです。
恥ずかしながら、やっと読み始めましたよ~
バークリー好きの人でも読む順位としてかなり低いと思われるパロディー小品なのに、いっしょにお話できる方がいて嬉しいです♪

>真似をしているようで、全然していない
あの、全体から漂う 人を小馬鹿にしたような皮肉で冷めた笑い(でも不快ではない)は、ウッドワースでも勿論ホームズでもなく バークリーそのもの-の感じが私もします。
文藝春秋の方は、何をもって「出来るなら無かった事にしたい作品」と思われるのか、知識不足の私にはよく分かりません。

 失礼いたします。今般指摘をいただきました『エムズワース卿の受難録』を編集しました、文藝春秋翻訳出版部の永嶋俊一郎と申します。
 こちらの記述を拝読し、はじめて、「ああそうだ、たしかに真田さんの評論を後ろに回したほうがバークリー作品としては幸福だったかもしれない」と気づきました次第です。そうですよねえ。たしかにそうです。
(なお、バークリー作品につけられております「編訳者註」は、編集者=わたくしの意見ではなく、岩永&小山ご両名のものです)
 わたくしも個人的にバークリーを愛好する者ですが、でも、うーん、やはりこの作品は、『ジャンピング・ジェニイ』なり『トライアル&エラー』なり(偏愛ベスト2なのですが)を書いてみせたバークリーの水準には達していないような気がいたします――もちろん、あのバークリーの「水準」においてですが。
 バークリーは、洒落にならない事態=展開を毒をもって洒落のめすセンスにおいてミステリ界一だと思っていますが、そんな彼が、無防備にすら見えるほどに稚気をフル回転させて「書いちゃった」、という感じが、このパロディにはあります。そんな微笑ましさ(なのに、おっしゃるようにバークリーっぽさは活きている)という点で、わたしはこの作品、愛すべき小品だと思っています。
 けっして、バークリーを貶める――そんなことできましょうか?――意図はありませんことを、どうぞご理解いただきたく存じます。

 長文、失礼いたしました。ウッドハウス選集はまだⅢ巻もございます。どうぞこれに懲りず、よろしくお願いいたします。また、弊社刊行に限らず、翻訳ミステリをご愛顧いただけますと幸甚です。

文藝春秋翻訳出版部 永嶋俊一郎さま

上記のコメントを頂き大変戸惑うとともに、怒りを新たにしています。
まず、認識の相違がかなりありますので、私の"立場"と"問題にしていること"をハッキリさせたいと思います。
私は本書を図書館や知人から借りたのではなく、2,500円払って購入しました。消費者として、商品に対する不満を御社に伝えようと、問合せ窓口にメールを書きかけましたが、既に読んでしまったものにお詫びを言われたとしてもどうにもならないしーと止めました。
その代わり、もし私と同じような動機で購入を検討する人がいるとしたら、役に立つことがあればとブログの記事にしました。

私が問題にしているのは、
文章の順番です。内容ではありません。
順番を決めるのが編集の方のお仕事なら、私が文句を言いたいのはまさしく永嶋さんです。
真田さんでも岩永&小山ご両名でもありません。

コメントを拝見すると、「バークリーをバカにされて怒っているファン」に対しての文章のように見えますが、違いますか?
この作品がどういう作品かは
読者が読めば分かること
ではないですか?
各々が感じればよいことなのではないですか?
その為の、良い読書環境を提供するのが、大変僭越ですが、編集のお仕事なのではないのですか?
私の少ない読書経験で、文章の順番でせっかくの作品の興を殺がれたのは初めてです。参考または補足として役に立ってくれるはずの解説や注釈が、マイナスの働きをしている本は初めてです。
付録とはいえ、あの部分にも私はお金を払っているのですよね、何円か何銭か。全くお金を返して欲しい位に立腹しています。

それに対して、
>バークリー作品としては幸福だったかもしれない
ですか。
蕎麦屋で「おじさん、ツユが濃いよ」と文句を言ったら、「すみません!」ではなくて「女性には、もう少し薄い方がお好みだったかもしれませんねぇ」と、責任の所在も問題点もあやふやにする国会答弁を聞いたような気分です。

そして、
「ご意見を参考に、今後の編集には充分な配慮を~」
とかのお決まりの文句すらなく、いきなり
>これに懲りず、よろしくお願いいたします。
ですか。
私も一応、こんなに古本市場が活況な中、2,500円という安くない金額を払って新品の本を買っている消費者なんですけどね。
買ってもらった商品に苦情を言っている客に対し、(表面上でも)謝罪するでもなく、(やらないにしても)今後の対応を述べるでもなく、ただ、今後も商品を買ってくれなど、通常の企業ではありえない対応ですよ。
このブログが幼稚でバカらしい内容なので、私がなめられているのでしょうか?
当方から御社へ問い合わせた訳ではないのに、わざわざコメントを下さって、それが論点のずれた高飛車な内容なので、コメント送信の意図を測りかねて戸惑っている-というのが、文頭に書いた戸惑いです。

ウッドハウス選集の付録としてバークリーの小品を入れるという企画はとても素晴らしい!と思うだけに、大変残念です。

「編集に不満」と言う論点がずれると困るので、以下2点は区別して書きます。

****************
●くろにゃんこさんのコメントに対する私のコメント-編訳者注で「なかったことにしたい」と書いていることについて

どういう感想を持とうと自由ですし、私も当ブログでマイナスな文章もいっぱい書いております。(お読みでないとは思いますが)
以下は私の価値観なので他人様に押し付けるものではありませんが、「なかったことにしたい」なぞと言う表現は"本人"以外が使うものではない、他人の創作物に対して使うには最低の表現ーと感じます。
ですから、
文章のプロが、
お金をもらって書いている文章の中で
作品の出来の悪さを表現する手段として使うには、あまりに無神経な言葉選びだと驚いた-のです。(ウッドハウスの出来の悪い小品に付されていたとしても同様の感想です。)
と言う訳で、「なかったことにしたい」という言葉は最低の評価だ-と自分は思っていますので、
確かにいい出来ではないかもしれないが、そんな「最低」な評価を受けるほど酷い-とは思えないということをコメントで書いたつもりです。
もし、そんな最低な作品だと本気で思っていらっしゃるなら
そんな作品載せるな!
読者から金取るな!
と思います。

●ここからは、今回頂いたコメントについての感想です。
-本についての感想ではありません-
私はジャンピング・ジェニーは未読ですが、試行錯誤は読んでおります。

>でも、うーん、やはりこの作品は、『ジャンピング・ジェニイ』なり『トライアル&エラー』なり(偏愛ベスト2なのですが)を書いてみせたバークリーの水準には達していないような気がいたします

上の文章は、私の評価がどうであれ、永嶋さんは「モダンガール」を余り評価していないことを伝えたいーと理解しました。

誤解のない様に先に書いておきますが、(ブログ記事を読んでいただければお判りかと思いますが)そもそも「モダンガール」という作品は、"評価"をするほどの作品でもないと、私は思っています。そんな、重々しいものではないと。
ですから、モダンガールの評価なんてどうでもいいんですけど、「なかったことにしたい」にしろ、上記永嶋さんのコメントにしろ『余りに理不尽な』感じがして怒りを覚えるのです。

お遊びで書かれたであろう ほんの数ページのパロディーと
バークリー自身の探偵が登場する長編本格推理と
比較するのがおかしいと 私は思います。
サラダと1週間煮込んだシチューを比較して、「サラダはシチューの水準に達していない」って
当ったり前じゃないですか。
実験データでも調査でも、比較をする場合 なるべく同一条件にするというのは常識ではないですか。そうでないものは信頼されません。
ですから、永嶋さんがどうしても自説を展開したいなら
バークリーのほかのパロディー作品と比較する とか
他の作家のホームズorウッドハウスのパロディーと比較して
述べられるなら分かりますが、こんな比較にもならない論拠でわざわざ反論されてくるとは、私のことを小学生だとでも思っていらっしゃるのでしょうか?
とにかく「劣る」という事が言いたいために、不平等な対象を引き合いに出しているとしか思えません。

評価、しかも芳しくない評価をされる場合、もっと慎重であってください。
お立場上、とても強くそう思います。

私は確かに怒っております。が、それは、バークリーがバカにされたからーではなく、
編集にしろコメントにしろ、プロとしてあまりに配慮に欠けると感じることに対しての、その本を買った消費者の怒りです。

 管理人さま

 ご意見、拝読いたしました。
 まず、わたしの書きぶりでご不快な思いをさせてしまいましたことを深くお詫びいたします。失礼いたしました。
 そして、お書きいただいたとおり、わたしが問題の所在を取り違えていたことも確かです。収録の順番こそが問題の本質であれば、それはわたしの責任にほかなりません。ですので、それに沿って、あらためて、状況をご説明申し上げたく思います。
 ですが、
> その為の、良い読書環境を提供するのが、大変僭越ですが、
> 編集のお仕事なのではないのですか?
 というご意見はまったくその通りで、すでに公刊された本の編集の具合が「本それ自体」として読者のかたに不満を抱かせてしまったならば、その段階で、編集者は非難されてしかるべきだと思います。したがって、以下は編集者にとって言い訳でしかあり得ません。

 わたしが真田さんの論文をバークリー作品の前に置いた理由として、まずこの本はウッドハウスの本であり、したがって、アントニイ・バークリーの名をまったく知らない読者が少なからずいるだろう、という判断がもっとも大きいものでした。そうした読者にとって、必ずしもパーフェクトなパロディ作品とは言いがたい「ホームズとモダンガール」が「付録編」の開巻すぐにあった場合、十全には楽しめない、あるいは戸惑いをおぼえるのではないかと考えました。「ウッドハウスとミステリ」という問題の立て方も、ミステリと無縁の場所からウッドハウスを見てきた人間には、「意外」なものであるということも聞いたほどです(これは、ミステリの側からウッドハウスを見てきたわたしには「意外」なことでしたが)。
 しかし、逆にミステリ・ファンがこの収録順でバークリー作品に出会った場合、管理人さまがお書きのように、

> 私の少ない読書経験で、文章の順番でせっかくの作品の
> 興を殺がれたのは初めてです。
> 参考または補足として役に立ってくれるはずの解説や注釈が、
> マイナスの働きをしている本は初めてです。
> 付録とはいえ、あの部分にも私はお金を払っているのですよね、
> 何円か何銭か。全くお金を返して欲しい位に立腹しています。

 こうした印象を抱かせてしまう可能性を、まったく失念してしまっていたのです。それに対して、謝罪すら失念し、

>バークリー作品としては幸福だったかもしれない

 と記してしまったことにもお詫び申し上げます。

 わたしのなかでは収録順と関連することですので、別項目としていただいいたコメントを引用いたしますが、

> もし、そんな最低な作品だと本気で思っていらっしゃるなら、
> そんな作品載せるな!
> 読者から金取るな!
> と思います。

 「最低の評価」という意識は、編訳者もわたしも持っていませんでした。しかし、十全のものだとは思っておりませんでした。その「十全ではない」と考える根拠として、 

> バークリーの水準には達していないような気がいたします

 との一文を記したのですが、たしかに「劣る作品」など載せるべきではありません。しかし――バークリー作品のⅡ巻への収録を主張したのはわたしですので収録それ自体もわたしの責任となります――バークリーなのです。たとえいくらか劣っていても、バークリーであることが意味を持ちうる、と考えた次第です。より正確にいえば、出来がどうであろうとバークリーのウッドハウス&ホームズ・パロディを読みたかった、載せたかった、というのがわたしの個人的な感情でした。
 無論、

> そもそも「モダンガール」という作品は、"評価"をするほどの
> 作品でもないと、私は思っています。

 という管理人さまの見解に、わたしも同意いたします。いちいち『トライアル&エラー』だの『ジャンピング・ジェニイ』だのを持ち出すのは嫌味じみていました。
 大上段の「批評」をするべき小品であればこそ、出来がパーフェクトではなかったとしても、その欠点は「バークリーである」という点で十分以上にカバーされる。というのが、掲載した理由です。
 しかし、「バークリーである」という点に意味を見出さない読者もいるだろうことが危惧されました(というか、その危惧だけが意識されていた、というべきでしょうか)。そのとき、この作品が傑作とはいいがたい、という部分が、そうした読者にとって非常に目立ってしまうのではないか、バークリーが何者であるか先に言っておいたほうがいいのでは――それが、真田さんの論文をさきにおき、この小品の歴史的・批評的な価値を示したうえで、作品自体をおく、という結論に達した理由です。

 長文失礼いたしました。
 上記で説明となりましたでしょうか。このあたりの説明をもっと――という部分がありましたら、どうぞお申しつけください。

 最後になりますが、

> 編集にしろコメントにしろ、プロとしてあまりに配慮に欠けると
> 感じることに対しての、その本を買った消費者の怒りです。

 あの一連の文章を書いていたあいだ、プロ意識を欠いていた点については、まったくその通りでした。お詫び申し上げます。そのとき感じていた意識について申し上げれば、それはイヤらしい「狎れ」であったろうと考えます。つまり市井のミステリ・マニア/バークリー・ファンに還ってしまい、手前勝手な「狎れ」で、最低限の礼儀も閑却してしまったという次第です。まったく恥ずかしくてなりません。
 深くお詫び申し上げます。

 文藝春秋翻訳出版部 永嶋俊一郎

たびたびすみません。
上記の文中、

大上段の「批評」をするべき小品であればこそ、

の箇所は、

大上段の「批評」をするべきではない小品であればこそ、

の間違いです。失礼いたしました。

文藝春秋翻訳出版部 永嶋俊一郎さま

私の提起している問題が、まだ伝わっていないようで、悲しくなってきました。

最終的なお願いは、
何も邪魔されずにそのままの作品を楽しむ、または参考になる注釈を得てから楽しむ-ことです。
「順番を変えたらどうか?」というのは、そのための方策です。

原書が今手元にないので間違っていればご指摘頂きたいですが、真田さんの解説のバークリーの説明タイトルは「ウッドハウスになり損ねた男」だったでしょうか。太字で。
ウッドハウス本編後の順番は(バークリーの説明だけ見ると)
1.ウッドハウスになり損ねた男
2.なかったことにしたい作品
3.「モダンガール」本編

で、私は素直にこの順番で読んで、楽しめなかったわけです。
読後の感想そのままを言えば、「なんでモダンガールの前にワザワザこんなこと書くのよっ!」ですが、一ファンなど遠く及ばない専門家の先生のお書きになったものですから、ケチをつけるなどとんでもないと思ったので、
文章をそのまま受け入れるとしたら
順番を変えてほしかった-ということです。

これは、私がバークリーファン(ミステリ・ファン)だからそう思ったとお思いのようですが、そうでしょうか?
逆に、バークリーについて何の知識もない方が

「ウッドハウスになり損ねた男」の「なかったことにしたい作品」と紹介されたうえで、実際「十全ではない」この作品を読んで、楽しんだと思います?

私のように、「なぜもっと楽しませなかったんだ!」と怒る読者は性質が良い方なんじゃないですか?
私が全く知らない作家の付録が付いていたとしたら、あの編訳者注を読んだ段階で読まないと思います。時間を無駄にしたくありませんから。そして一生その作家に興味ありません。だから苦情も言いません。

永嶋さんが今回のコメントで書かれている
>しかし、「バークリーである」という点に意味を見出さない読者もいるだろうことが危惧されました。そのとき、この作品が傑作とはいいがたい、という部分が、そうした読者にとって非常に目立ってしまうのではないか、バークリーが何者であるか先に言っておいたほうがいいのでは――それが、真田さんの論文をさきにおき、この小品の歴史的・批評的な価値を示したうえで、作品自体をおく、という結論に達した理由です。

の目的からすると、真田さんの論文と岩永&小山ご両名の編訳者注は、目的を達せないばかりか逆効果になっていると私は感じます。
もう一度冷静にお読みいただいて、あの論文と編訳者注が
「この作品が傑作とはいいがたい部分」を補ってると思いますか?
傑作とは言いがたい作品だからこそ、先に説明が必要だと思われたんでしょ?
私には、「傑作とは言いがたい」事に更に追い討ちをかけているようにしか見えません。だからこそ、楽しめなかったのです。

バークリーであることに意味を見出す人にも見出さない人にも楽しんで欲しいという永嶋さんの目的を達するのに、作品の前に説明の文章がどうしても必要とお考えであれば、
★文章を変えるか、
論評は論評だから文章はを変えない-のであれば、
☆順番を変えるか、無くすか。
-大きなお世話ですが、実際読んだ者の改善提案です。

文書を変えるなんて、大変失礼な申し出だと思ったので、ブログ記事と最初のコメントレスでは「順番を変えては」と上品に(図々しいですが)言ったのですけどね。
今回の永嶋さんのコメントで「補うために先に置かなくては」と言われれば、「じゃ、内容を変えないと」と言わざるを得ません。そのままの順番でいいんですよ、興を殺がないものであれば。
ウッドハウスの本なのですから、他の作家が評論の中であまり良い立場に置かれなくたって、しょうがないでしょう。だから、そんなことに気を使うより、せめて順番を変えて工夫したらどうかって思っていたということです。

苦情にしろ意見を提示する場合は、建設的でありたいと心がけています。文句を言うだけでなく、その後何かの役に立つような。
今回もそうしたつもりですが、それに対する御社の対応が 問題点を理解して頂けないばかりか、現状肯定の言い訳に終始していてほんとうに残念です。
なんか、疲れてしまいました。
>バークリーが何者であるか先に言っておいたほうがいいのでは
で、「ウッドハウスになり損ねた男」ですか。笑い話ですね。永嶋さんのことが好きになってきました。

次にコメント頂けるんでしたら、どなたか第三者に最初の記事からお読み頂き、冷静で建設的なレスをお願いしたいです。

はじめまして。一連の流れを興味深く拝見させて頂きました。

まず最初に、私自身は一介のバークリーとウッドハウスの愛好家であるに過ぎませんが、文春の永嶋氏や、真田啓介氏とは多少ご縁があって親しくさせて頂いている者であり、また一応、出版業界に身をおく者である(永嶋氏とは会社も違えば作っている本の中身もまったくの異畑ですし、また編集者としても遥かに若輩の身ですが)、という立場を明かしておきます。

さて、『エムズワース卿の受難録』解説部以降におけるテキスト配置については、永嶋氏同様、こちらのブログを拝見して初めて「なるほど、順番は逆だった方がよかったかもしれない」と思いました。

要するにそれまではあの順番で何の問題も無かろうと感じていたのですが、それは"Holmes and the Dasher"(原題)という作品を私自身、ウッドハウスやバークリーを知る遥か前、一シャーロッキアンとして『シャーロック・ホームズの災難』において既に読んでおり、「どうもつまらない話だな」と認識していたがゆえに、真田氏の解説も、編訳者の注も理に適うと判断し、結果としてテキスト配列にも何の疑問も挟まなかった、という経緯があります。
しかし、『エムズワース卿の受難録』で初めてバークリーとその作品に触れた人にとっては、確かにある種の予断を与えてしまう文章でもあるでしょう。そういうわけで管理人様の「順番を変えて欲しかった」という要望には納得がいきます。納得がいきますが、それでも永嶋氏の申しあげていることの補足を(勝手ながら)させて頂きたいと存じます。

この一連のコメントの流れを拝見していてずっと違和感を覚えていたのですが、それは、「読者の要望」と「編集者の意図」がまったくかみ合っていないまま話が進んでいることです。管理人様は次のように仰っておられますね。

>>
この作品がどういう作品かは
読者が読めば分かること
ではないですか?
各々が感じればよいことなのではないですか?
その為の、良い読書環境を提供するのが、大変僭越ですが、編集のお仕事なのではないのですか?
私の少ない読書経験で、文章の順番でせっかくの作品の興を殺がれたのは初めてです。参考または補足として役に立ってくれるはずの解説や注釈が、マイナスの働きをしている本は初めてです。
付録とはいえ、あの部分にも私はお金を払っているのですよね、何円か何銭か。全くお金を返して欲しい位に立腹しています。

これは"Holmes and the Dasher"単体の感想ではなく、『エムズワース卿の受難録』という1冊の本の構成についての感想と拝見しました。こういう感想を持たれることはもちろん読者の自由でしょう。
しかし『エムズワース卿の受難録』というテキスト総体における「編集者の意図」から判断するのであれば、やはり「ホームズのパロディ」としても「ウッドハウスの文体模倣」としても程度が落ちる(と、私は判断していますが)バークリーの"Holmes and the Dasher"について、真田氏の解説や編訳者の注は、必要にして不可欠なものでありましょうし、あの順番でなくてはいけません。そうでなくては、今度は「ウッドハウスの小説でバークリーを紹介しよう」と考えた永嶋氏や真田氏の意図が伝わらなくなります。それは、本を作る側の人間にとっては何としても避けたいことです(私は一般書籍の編集者ではありませんが、そう考えます)。
ウッドハウスを語る際に探偵小説の側面から語る、とりわけバークリーに筆を費やして語るということは、探偵小説、ことにバークリーを通じてウッドハウスに触れてきた人間にとって非常に興味深く、また意義のある試みであったと思っています。
そしてバークリーが書いた「ウッドハウスの文体模倣によるホームズもののパロディ」は、その試みの中で紹介するのに格好の素材であるでしょう。ではあるが、編集者や論者が高い評価を与えてはいないものについて、何も言わずに掲載してしまうのは、それは「もの作り」の上で不見識なことであろうと思います。「探偵小説―あるいはバークリー―を通じてウッドハウスを語る」という仕事において、ある評価を下すことの責任を放棄してしまうことの方が、より読者にとって不誠実な行為であろうと思うのです。ですから、永嶋氏や真田氏が高い評価を与えてはいないと思しきバークリーの小品を、それでも掲載したことに、非常に好感を覚えます。

私は一読者として、『エムズワース卿の受難録』における永嶋氏や真田氏の意図を、このように読み取りました。

その上で、また別な感想を抱かれた読者が「この編集方針はおかしいのではないか」というご指摘をする自由は当然ありますし、また編集者はその批判について、真摯に受け止めなければならないと考えます。あの文章の配置が予断を与えかねてしまうものであるのはご指摘の通りであると、管理人様のご指摘によって私も認識を改めましたし、永嶋氏も管理人様もまた、そのように感じられたものと(私には)思えます。

ですが、私見では、永嶋氏は管理人様のご意見に対し、言葉足らずではあったかもしれませんが「編集の意図」を説明なさるということで、真摯な対応をされていると思います。管理人様は蕎麦屋の例を挙げていらっしゃいましたが

>>
蕎麦屋で「おじさん、ツユが濃いよ」と文句を言ったら、「すみません!」ではなくて「女性には、もう少し薄い方がお好みだったかもしれませんねぇ」と、責任の所在も問題点もあやふやにする国会答弁を聞いたような気分です。

誇りを持って仕事をされている蕎麦屋でしたらこの場合「私どもはこうした味でお客様方に蕎麦を提供しております」と説明されるでしょう。それが、まずあるべき態度かと思います。
そしてそれは、編集者も同様かと存じます。いきなり何の説明もなしに「すみません」と謝罪してしまうのは、真摯な対応ではない、と思っております。そしてその上でなお、ご不満がある、ということでしたら、それは必ずご意見として受け止めさせて頂かねばならない、と考えます。
管理人様のご意見は大変貴重なものと思いますが、

>>
次にコメント頂けるんでしたら、どなたか第三者に最初の記事からお読み頂き、冷静で建設的なレスをお願いしたいです。

という形で一方的に、永嶋氏からの意見を拒絶されてしまう態度を示されては、作り手側から読み手側への、真剣な対応をなさっていたはずの氏の立場がないだろうと考え、今回投稿させて頂きました。
ご容赦頂ければ幸いです。

下記の部分、訂正いたします。

あの文章の配置が予断を与えかねてしまうものであるのはご指摘の通りであると、管理人様のご指摘によって私も認識を改めましたし、永嶋氏も管理人様もまた、そのように感じられたものと(私には)思えます。

あの文章の配置が予断を与えかねてしまう可能性があるということはまったくその通りであると、管理人様のご指摘によって私も認識を改めましたし、永嶋氏ももまた、そのように感じられたものと(私には)思えます。

失礼いたしました。

牧人さま

はじめまして。
コメント頂きありがとうございます。

>この一連のコメントの流れを拝見していてずっと違和感を覚えていたのですが、それは、「読者の要望」と「編集者の意図」がまったくかみ合っていないまま話が進んでいることです。

全くそのとおりなんです。だから疲れているんです。
出版界の方ということなので、是非お尋ねしたいのですが、「読者の要望」にはどのように対応しているものなんですか?
私は、もし文藝春秋社にメールを送っていたら(=ブログ記事のようなことが文藝春秋に伝わったら)

「ご購読ありがとうございます。
ご指摘のとおり、本編後の解説文~「ホームズと~」の構成につきましては検討の余地があろうかと思います。
今後も編集には細心の注意を払ってまいりますので、今後ともよろしくお願い申し上げます。」

変な文章でお恥ずかしいですが、大体このような返答を頂くものと思ってました。
それで終了。
でも、永嶋さんの最初に下さったコメントでは
まるで友達口調
「あなたの意見も一理あるが、でも、良い出来じゃないんだからしょうがないじゃん。」
という趣旨と理解しました。
実際、「しょうがないじゃん」の方に文章が多く割かれています。

これでは、問題を提起した私としては、全く立つ瀬がありません。

ご存知のように、ブログコメントは当事者以外の目にも触れるのですし。
うがった見方をすれば、文藝春秋の編集に向けられた意見を潰しに来たかのようです。
私から問合せをしたわけじゃないんですから。

もちろん、永嶋さんにそんなお気持ちはないと思いますが、「購読者の意見」に対する対応として、非常に疑問を感じます。
出版社の方は、こういう対応をされるものなのでしょうか?
牧人さんの文中にも出てきますが、こちらの意見を「真摯に」受け止めてくれないのでしょうか?
永嶋さんのコメントは2つとも、意見を出している私に向けられるものとしては、現状肯定の言い訳以外のなにものにも映りません。
しかも、その「編集者の意図」が、説明すればするほど「私の出してる問題点」に対しては逆効果なものばかりで。これでは、そもそも私のいってることが永嶋さんの心に全然届いていないのではと、虚しくなるばかりです。

もちろん、「編集者の意図」ってのがあって編集されているのでしょうから、どんな意見が来ようと「これはこうなんだ!」と主張されるばかりなら、

>まったくかみ合っていないまま話が進んでいることです。

になって当然ですよね。
最初のコメントレスで、バカみたいに「2,500円出して買った~」を繰り返しましたが、どういうご立派な意図であれ、実際に良くないと感じだ購読者の声を、まずは真摯に受け止めるべきなのは文藝春秋の方だと思うんですけど。
永嶋さんご自身の心中は分かりませんが、コメントを拝見する限り、真摯に受け止めていただいたように私には思えません。

牧人さんも書いてくださってますが、私の要望は「ま、そういう見方もあるよね」程度の 受け入れられるものでしょ?
とんでもなく理不尽な事言ってる訳じゃないですよね。
出版社さんに寄せられる意見・要望のなかで、特に対応が難しいような問題でもないと思うんですけど。
それなのに、このような対応を続けられるのは、きっと永嶋さんが本件について冷静さを欠いておられると思いましたので、

>次にコメント頂けるんでしたら、どなたか第三者に最初の記事からお読み頂き、冷静で建設的なレスをお願いしたいです。

と書きました。
牧人さんもきっとかなりの時間を割いてコメントを書いてくださったと思いますが、私も上記長文コメントにはとても時間がかかっています。
これ以上、「かみ合わない」と分かっていることに自分の時間を使いたくないんです。
それは分かっていただけますよね。
牧人さんが心配されているような

>という形で一方的に、永嶋氏からの意見を拒絶されてしまう態度を示されては、

意見を拒絶するつもりなど全くありませんのでご安心を。
そういうふうに受け取れる文章であったなら、私の予想外のことだったので、教えて頂いて感謝しています。ありがとうございます。
>第三者
というのは、「永嶋さん」と「私」以外の人という意味で使いまして、永嶋さん以外の文藝春秋社の方が次のコメントを下さるのかと思っていました。私としては、永嶋さん個人に特に何かあるわけでは無いので、「文藝春秋」⇔「私」の関係に変わりはないと思いまして。
でも、教えて頂いて そう伝わってない可能性があることが分かりましたので、ハッキリ私の方から文藝春秋社に文書等で問合せをしたほうが良さそうですね。
どなた宛に出したらよいのでしょうか?
そういうことお詳しいと思いますので、教えていただけると嬉しいです。

 ☆☆☆

牧人さんの書いてくださったご意見について、思ったことを書かせていただきます。

>しかし『エムズワース卿の受難録』というテキスト総体における「編集者の意図」から判断するのであれば、やはり「ホームズのパロディ」としても「ウッドハウスの文体模倣」としても程度が落ちる(と、私は判断していますが)バークリーの"Holmes and the Dasher"について、真田氏の解説や編訳者の注は、必要にして不可欠なものでありましょうし、あの順番でなくてはいけません。そうでなくては、今度は「ウッドハウスの小説でバークリーを紹介しよう」と考えた永嶋氏や真田氏の意図が伝わらなくなります。

「なぜ必要不可欠なものなのか」「なぜあの順番でなくてはなりません」かが私には理解できないのですが、その理由は以下なのでしょうか?

>ではあるが、編集者や論者が高い評価を与えてはいないものについて、何も言わずに掲載してしまうのは、それは「もの作り」の上で不見識なことであろうと思います。「探偵小説―あるいはバークリー―を通じてウッドハウスを語る」という仕事において、ある評価を下すことの責任を放棄してしまうことの方が、より読者にとって不誠実な行為であろうと思うのです。

これが理由でしょうか?
違うのであれば、申し訳ありませんがもう一度わかりやすく教えてください。
一応、こちらが理由だという前提で私が感じたことを書かせていただくと、

>ある評価を下すこと

これがまさしく

>あの文章の配置が予断を与えかねてしまう可能性がある

ことだと思います。
つまり、「他人の評価」=予断につながるものを、先に読まされたくなかった-というのが、ブログ記事から言っている私の要望です。
ですから、作品の正当な評価を載せるために「必要不可欠なもの」であったとおっしゃるのは分かりますが、「あの順番でなくてなりません」には、私はうなずけません。
牧人さんも私も一読者ですから、それぞれに感想を持っていていいですよね。同じ読者として楽しく読ませていただきました。

「真摯」についても、どうも牧人さんとは意見が違うようです。
>誇りを持って仕事をされている蕎麦屋でしたらこの場合「私どもはこうした味でお客様方に蕎麦を提供しております」と説明されるでしょう。それが、まずあるべき態度かと思います。
そしてそれは、編集者も同様かと存じます。いきなり何の説明もなしに「すみません」と謝罪してしまうのは、真摯な対応ではない、と思っております。そしてその上でなお、ご不満がある、ということでしたら、それは必ずご意見として受け止めさせて頂かねばならない、と考えます。

私の思う「真摯」では、
とにかくお金を頂いて提供したものに不満を持たせてしまったことに対して、理由はどうあれ、まず「すいません」ということです。
そして まずはご不満の理由を聞かせていただき、
誇り・自信があるなら、その上で 状況を説明すべきかと。
身を置いている業界が違う所為でしょうか、温度差を感じますね。
いきなり
>「私どもはこうした味でお客様方に蕎麦を提供しております」
と言われたら、私なら「アンタ、もう来なくていいよ」と言われてるような気がしてしまいますが。

この、最初に「すいません」と「不満の理由をまず聞かせていただく」ところが抜けて、いきなり「私どもはこうした味で~」となさることが、
今回の『かみ合わないコメントの応酬』の原因かと思います。
牧人さんは、永嶋さんが一生懸命「編集の意図」を説明されているから真摯だ-と思っていらっしゃると受け取りました。
皆さん一生懸命仕事されていると思います。だから、批判的な意見というのは聞きたくないもので、なるべく自分を正当化したい気持ちも皆もっていると思います。
それでも、その批判に素直に耳を傾けて、まず相手の言い分を理解しようとする-姿勢が『真摯』なのではないかと私は思いますが。

>まずあるべき態度かと思います。

まずあるべき態度は、自分たちの言い分を主張することではなく、不満を言ってる人の言い分をよく理解することだと思います。大変難しいと思いますが。
永嶋さんのコメントを拝見すると、
1回目のコメントも
2回ものコメントも
文を重ねれば重ねるほど、私の言っている事が伝わって無い事が分かるばかりで、ただただ「私どもはこうした味でお客様方に蕎麦を提供しております」を主張されるばかりです。
この主張をすることが真摯だと牧人さんが思われるのでしたら、牧人さんにとっては真摯なのでしょう。
しかし、私は「こちらの言っていることを理解してくれる」ことが真摯だと思っているので、真摯な態度と思えないということです。
牧人さんとは「真摯」についての価値観が違うので、この点について議論させて頂くことは今後ないと思いますが、せっかくご意見を頂いたので、私もその点について思っていることを書かせて頂きました。

 管理人さま

 たびたび申し訳ありません。永嶋俊一郎です。
 重ね重ね、ご不快の念を抱かせてしまいましたこと、お詫び申し上げます。わたしの対応につき、ご指摘いただいた諸点、いずれもその通りかと思います。読者のかたが抱いた感想につき、送り手がつまらない口をはさむということ自体が潔くないものですし、これは越権行為でした。仮に何かしらの編集方針めいたものがあったにせよ、それが読み手の側に伝わらなかった時点で、送り手は負けを認めるべきですし、それを今後の糧としなくてはなりません。これは黒子であるべき編集者の驕り以外の何物でもなかったと、いま、強く思っています。
 そもそものはじめから、わたしの筆致が非礼であったことも、ご指摘どおり、非難されてしかるべきです。ウッドハウスの本をお読みいただいたということに舞い上がってしまい、まず何よりも先に、買ってくださったことへの感謝を申し上げべきであるのに、それを失念するとは、いまさらながら自分が情けなくなるような思いでおります(ついでながら、今般の問題は出版社という業種の問題ではなく、純粋にわたし個人の疎漏でしかありません)。自分は単なる読者ではない、という、己の分に無自覚であったのでしょう。この幼稚さは、まったく度し難いものに思えます。今回、叱責をいただいたことで、ひとりの編集者として、またひとりの社会人として、非常に大きな勉強をさせていただいたと感じております。驕慢に濁った眼を、開かせていただいたように思います。非礼をはたらいた者が申すのも何ですが、感謝を申し上げさせてください。
 ありがとうございました。そしてまた、再度、衷心よりお詫び申し上げます。

もともとの議論の一方の当事者たる永嶋氏から謝罪の書き込みもなされておりますので、もはや脇から出てきた私がこれ以上議論を伸ばすのはご迷惑かと存じます。
私もこれにて撤収させて頂きます。
管理人様には、お騒がせいたしまして誠に失礼いたしました。

永嶋俊一郎さま

遅くにコメントいただいて恐縮です。

本書の読後は、ウッドハウスが面白かったことも忘れて大変憤慨しておりましたが、ブログ記事を書く時は かな~り自分を抑えて『大人に』書いたつもりで、それに満足しておりました。
それなのに、結局ココまでハッキリ書く羽目になったことは非常に残念です。
しかし、折角 ご担当編集者のご意見が聞けたこと・私の思っていたことをハッキリ書けたこと-を生かせれば~と思い、以下はお願いなのですが。

私はてっきり「文章の配置」等は編集の方のご一存なのかと思っていたのですが、永嶋さん それから お二人のご友人の牧人さんのお話から、「ウッドハウスの本でバークリーを紹介する」という事全体について(配置等も含め) 真田さんがかなり深く係わっていらっしゃるようですね。
でしたら、是非 私の感想を真田さんにもお伝えください。
編訳者注を書かれた方には、私の感想(ブログ記事)と、私の最初のコメントレスで「●くろにゃんこさんのコメントに対する私のコメント」の部分をお伝えください。
ご返事を求めるものではありませんので(勿論いただければ大変嬉しいです)、何かの折にお伝えいただければと思います。

ウッドハウス本の解説文について、もう一つ言い忘れていることがありました。
一番最後だったでしょうか?イギリス爵位の呼び方についての解説文があったと思います。あの説明は、大変役に立ち、また勉強になりました。本文中で次男が2人(笑)出てきますしね。

私のことを 大変細かくて理屈っぽくて長話をするヤツだと思われたと思いますが、なにせロジャー・シェリンガムファンなので、お許しくださいませ。

牧人さま

再度コメントいただいて恐縮です。
牧人さんのご感想は分かりませんが、永嶋さんとご同業とはいえ第三者の方からコメント頂いた事は嬉しく思っております。
ありがとうございました。

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